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コラム

金魚!と叫んだ伯父が逝ってのカーテンコール
吹雪の中の自転車とラストステージ

一日中見ていた

 私が後見人となっている伯父が他界した。

あの「金魚!」と叫んだ伯父である。パーキンソン病で自由に身動きできない伯父と金魚のいきさつは昨年10月10日付け本コラム「おじさんがホームで『「金魚!』と言ったなら 高齢化時代を受け止める、とは何か」と昨年11月28日付け「『金魚!』で変わる伯父の表情 高齢者施設の居室で飼育してみる」で紹介した、

仙台市太白区の高齢者施設に入居した、その居室に金魚の水槽を入れ、それを眺めていた伯父は定年退職後まもなくパーキンソン病となり、17年もの間、体が不自由だった。昨年夏に伯母が突然他界し一人残された伯父は意気消沈した様子だったが、居室の金魚が命をつなぎとめていたような気もするが、最後は気管支炎となり苦しい咳を繰り返し、高熱もおさまらない状態であったが、最後は咳もなく、静かに目を閉じた。

そして施設職員の話では、亡くなる前日は「一日中、金魚をみていた」という。

計画の中に金魚

居室に生きた金魚とその水槽を設置したいきさつは上記コラムで報告したが、私が伯父の思いを叶えてあげたい、という気持ちは、「誰も伯父のことを聞いてくれなかったのではないか」との行き場のない悔しさに似た感情が居残ったままだからかもしれない、

伯父はおそらく今でいう発達障がいだったのだろう。樺太に生まれ、引き上げ後に自衛隊に入隊したが、除隊し倉庫の力仕事に従事した。「頭が鈍い」といじめられたようだが体は丈夫だった。片道2時間を婦人用自転車で通勤した。雨の日も、風の日も、雪の日も絶対に休むことはなかった。

ある吹雪の日、高校生だった私は通学のバスの中から、雪にまみれ、国道を行くトラックに吹き飛ばされそうになりながら、必死にペダルをこぐ伯父を見た。その時、なぜか胸が張り裂けそうになったのを今でも思い返す。

その姿を思い出しては、言葉も不自由でいる伯父が絞り出した「金魚」という言葉を実現したい、との熱意はなかなか周囲には通じない。金魚を居室で飼育することに、施設側は当初消極的だった。「規約ではペットは禁止にしていますが、それは犬や猫を想定したものなので、、」と戸惑いつつ、内部協議をするとのことで、期待薄で待っていたら、「是非やってください。伯父さんがどんな感じになるのか楽しみ」と快諾の返事が得られ、設置となった。何よりもうれしかったのは、伯父のサービス利用計画の中に「金魚を通じての機能回復」が明記された点である。

私も障がい者支援施設でのサービス提供側にいる者として、当事者の支援の基本行動となる利用計画に「金魚」を明記することは、支援員はじめ職員がその計画に基づいて職務として金魚に携わることになる。金魚が「機能回復」に向けてのツールとして考え、職員の方々は積極的に金魚に関わったのだろう。おかげで、金魚はえさのやりすぎですぐに丸々と太ってしまい、その都度金魚は交換された。

コミュニケーションツール

この30センチ程の立方体の水槽は仙台市太白区の「アクアアートギャラリー」(野澤安彦代表)に管理してもらい、月1回水草やディスプレイの変更を行い、私や来る人の目を楽しませてくれた。この水槽の管理をしている野津さんは月1度のメンテナンスの日に伯父の居室を訪れ、何らかのコミュニケーションをとっていたのだろう。亡くなったとの知らせに「何もできませんで」と悔しがった。

伯父にとっては、定年後も友人・知人もおらず数少ない来客者の1人だったから、とても心待ちにした存在だったと思う。1人の居室で狭まっていく社会にあって、その張り合いは外部との接点や金魚が全身で示す「生きている」ことの形だったかもしれない。

今年秋になって月に一度しか訪れることのできない私の家族が帰ろうとすると、「おう!」と断末魔の叫びのような声を上げた。それは年末に「うぢさけいりでえ」(家に帰りたい)という訴えだった。

最後の別れ

 体の状態から家に帰ることはできないが、車椅子のまま車両に乗せて、車の中から家を見ることは出来る、と福祉車両をレンタルしようと、可能性を調査し、クリスマス前の日をその決行日と決めた矢先に、気管支炎で入院したところから体調が悪化していった。

私が一時駆けつけた時も呼吸は荒く、苦しそうだったが、数日後に熱はおさまり、最後は静かに目を閉じて、多くの職員に見送られた。遺体が葬儀所に運ばれ、私が居室の整理にしに行くと、職員は丁寧になくなった状況を説明し、居室の整理を手伝い、すべてが終わると居室のフロアスタッフが全員そろって成立し、私を見送る。施設の玄関では事務スタッフもすべて玄関に出て、私を見送り、玄関から外に出てからも複数の担当職員が見送る。演劇のカーテンコールからお見送りのように、その感謝のやりとりは、伯父の死が感動的なステージの演出のようにも思えてくる。

金魚を受け入れた施設とその職員、金魚を太らせ、それを見ていた伯父、そして、金魚を管理していた野澤さん、それぞれが伯父の最後のステージの素敵な役者たちだった。

棺桶に入った伯父の輪郭をなでながら、あの日の雪にまみれた伯父の姿を思い出した。窓の外には雪がちらついていた。

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